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What Makes Keanu Cry?

Details (USA) - November 2003

ドアのベルを鳴らした時、彼は黒いオートバイ用半ヘルメットを抱えていた。おずおずと私の手をとり握手する。神経質になっているせいか、或いはただ単に私の年齢のせいなのか、私のことを”sir”ずけで呼んだ。私は10歳上なのだが、急に60にもなったような気がした。我が家の一階を見せて回る。コルクと新聞の切り抜きが並んだ壁、ドイツ製の電気ベビー・グランド、膨大な書籍、そのうちの(ごく)わずかのものにはカバーに私の名前が載っている。彼はすべてを呑み干していった。私の作品は記憶にないと言う。

彼が私の小説を注意深く観察している間に、仏教とハリウッドに関する話を書き終えたばかりだと話した。よく知っているはずの二題目だ。彼が階下の洗面所を使ってから、二階の台所に行った。お互いに馴染む過程。軽いトーク。私は彼と、並々ならぬ深刻な話をするつもりでいる。死についてだ。たった90分しかないのに、失礼でない形でそんな話に飛び入むにはどうすればいいのだろう。

実を言うと、私は彼が来たこと自体に驚いていた。彼のスタッフがシャトーの中庭で会うことを提案をしていたからだ。確かに私もシャトーのことはすごく愛しているが、そこに二人で座って、という考えはどうも気に入らなかった。我が家に来ては貰えないかな?数日後に電話が入り、来るという返事だった。その後ミーティングは延期され、彼の気が変わったんだろう、そのうちまたシャトーが、その広大で華麗な頭をもたげてくるのだろう、と思っていた。その矢先に、キアヌ自身から20分遅れると電話があったのだ。そして彼はやってきた。予想通りにハンサムで、会ったとたん自動的に異性愛、男女を超えた子犬に対するような愛に満たされる。が、同時に彼は極めて目立たなくもあった。バイクをぶっ飛ばしてくる彼をそれと気付いた者は、おそらく誰もいなかっただろう(彼はシンプルな可愛いハーレィに乗っていた。愛車のノートンは“風邪“を引いているそうだ)。が、誰か気付いた者がいればとよい思う。オートバイのマトリックスもどきを目撃したと、友達や家族や愛人に吹聴することが出来るんだから。

しかし尚、彼は目立たないという印象を身にまとっている。生来的に陽気、優雅、謙虚。そして、ほんの少し堅苦しい。おそらくこういうことがあまり好きではないのだろう。まあ、好きな者などいないだろうが。彼とは以前、選りによってニューヨーカーの本のコンベンションで会っている。トランシー・ウルマンがリヴァー・フェニクッスについて彼に話しているのを小耳に挟んだ。(今日はリヴァー・フェニックスの話はしないつもりでいる)キアヌに、もし話しにくい話題があっても、「この話を持ち出したら、キアヌは明らかに気の進まない様子で云々・・」というようなことは書かないと約束した。ここ数年、小説の下調べで死後の世界について特に調査していること、だから死について話したいことを述べた。彼は構わないという。

私は彼のために大皿の果物を準備した、普通は女性にしかやらないことだ。「文化的ですね」と彼は言った。思慮深く、かすかに不安げな様子だ。それに90分という時間はあまりに短い。恋心が鈍い波のように再び押し寄せてきた、この半中国半ハワイの英国な存在・・。リトル・ブッダでの役柄のことから禅の話になった。ベルナード・ベルトルッチが会いたがっていることは、トスカニーで別な映画を撮っている時に聞いたという。インタビューの後、ベルトルッチは彼を、「君には信じがたい無邪気さがある」と言って起用した。誘惑者としての監督・・まあ、奴にはきっと90分以上の時間があったのだろう。とはいえ、その言葉は真実だ。

見るがいい。信じがたい無邪気さで、果物を食べている。極めてシッダルタなその香りが、今にも漂ってきそうだ。いかなる危害もこの存在に及ばないようにと、誰しも願わずにはいられない。

話をその時に戻そう、別な俳優から瞑想の仕方を教わった、とキアヌは語った。その過程で豪華で深く珍奇な知覚認識を体験したという。生まれて初めて、キアヌは心と意思、意思力の分離を知る、「あらゆるものが、いかに心理学的解釈を超えて存在することに固執しているか−まさに啓示だった」。やっぱりね、彼は見せ掛け以上にこの分野に精通している。「万事がヴァイヤラナなんだ」と彼はこともなげに言った。(ダイヤモンドのように破壊不能な空虚) や、しまった。腕時計をちらっと見る。信じられない、もう時間の半分が過ぎていた。急いで、なりふりかまわず父親の話に移行する。我々は共に13歳で家長との決定的別れを体験していた、彼はそれっきり父親に会っていない。(君のお父さんが刑務所生活を体験したのは知ってるが、そんなのウーディ・ハレルソンの親父と比べればなんでもない、なにしろ連邦判事殺害で有罪判決を受けたんだから、と彼に言った。キアヌは笑った、その逸話は知らないらしい) ドッグスターとハワイ・ツアーをした折、お父さんが手紙で連絡を取ってきたが、キアヌは返事をしなかったという。「僕は親父の血を受け継いでいる」彼は言う「親父から貰いたいもの、必要とするものなど何もない」 まあ、今のところそういうことらしい。彼が39という年齢に至った段階で判断した内容、ということだ。見つめ合って、我々はただ肩をすくめた。父親と疎遠になった息子の仲は簡単ではない。三人の妹のことは愛情を込めて語った。年下が二人、凄く年下なのが一人、こちらにはまだ面会していないという。キムというのが白血病を患っている妹だ。彼女はかつてアンダルシア馬を調教していた。「思うんだけど」無気味なカリスマ的重さでキアヌは言う「彼女ほど勇気のある人を僕は他に知らない」。キムは極めて困難な期間を過ごし、そんな彼女を兄貴はものすごく愛している。「彼女の祈りのお陰で、僕は恩恵を得ている」と彼は表現した、神秘的に、苦悶に満ちて、詩的に。私は彼に言った、「いいかな、もっと死について話したいんだけど」 どうしようもなかった、死が彼を取り囲んでいるんだから、いや、我々全てが取り囲まれているんだから。私は彼のかつてのガールフレンド、ジェニファーと、二人の間に生まれるはずだった子供の話を持ち出した、もしそんな悲痛で哀しい話を、あと30分という時に『持ち出せる』ものならば。そこが怖ろしいところだ。そう考えている時だった、突然キアヌが言った「泣いちゃいそうだ」。信じられないくらい無防備で、素顔なままの、真摯、無垢な彼がそこにいた。ジェニファーが最後の幸せな検診に行くと、医者が「専門家を呼ぶ必要がある」と言ったそうだ。彼女は瞬きをして、「どういうことですか?」と聞いた。「心音が聞こえない」。その時、キアヌはニューヨークで映画の撮影をしていた。そこにジェニファーの悲鳴に近い電話が届く。彼は急いで帰ってきた。出産の時同室にいたのかと聞くと、キアヌは私と果物皿の向かい側、悲惨の彼方から、「ええ、もちろん!」と答えた、その時の表情はこのように語っていた『既に名前までつけた子供の出産に立ち会わないなんて、正気の沙汰じゃ出来ないでしょう?』。言葉にはならないことだ。その前、その只中、その後を通して、彼はジェニファーを愛し、面倒を見た。彼女が交通事故で他界したのがその後どれくらい経ってからなのか、は聞かなかった。自分では聞いたりインターネットで調べたりしないと思うので、誰か代わりに調べてくれないだろうか。言葉にはならない。彼が言った、「出来事にはすべて然るべき理由があるんだ、なんて言われると消化不良になる」 私が、そんなことを言う連中には、黙っている『然るべき理由がある』よ、と応じると、キアヌは笑ってこう付け足した「それ、すごくラム・ダス的ですね」。

時計の針の音に急かされて再び唐突に話題を変え、金はどうするつもりかと聞いた。どこかで、マトリックスの連作で給料の他に法外な金が彼に支払われたという話を読んだからだ。わからないという返事。そのことに困惑している様子だった。(生来謙遜な子供大人)。その、むむ・・『事後処理』を誰かに依託しているのか、いや、そもそも君はそれについて何か考えているのか、と私は聞き募った。「むろん、考えてますよ」彼は怒ったように答えた。が、金について話すことを、死について話す時以上に居心地悪がっているのが感じられる。(彼のそんなところが直感的に好きだ。)

いずれにしても、一番恐れているものは何かと聞けば、奇妙で可愛いことに、演技の領域に属する内容が返ってくる。俳優としての恐怖。次の仕事はあれか、これか、どれにするか。まあ『信じられないくらいの無邪気さ』の持ち主にはそれで普通なんだろう。彼は楽器演奏が大好きだ、が、彼のバンドは解散したらしい。ドッグスターの全員が一室に集まり、「おい!もう何も歌が浮かんでこないよ」と言ったとか。今はドラマーのガールフレンドの名前から取ったベッキィという新しいクループにいる。

ジャック・ニコルソンと共演したばかりだ。ニコルソンは自分を地球一魅力的な男だと思っている。「一緒のシーンでは、とにかく目立たないようにするしかなかった」 キアヌにどんな役でもやる準備があるのは、その顔を見ればわかる。マイク・ミルスというビデオで評判を取った初顔の監督による、『指しゃぶり』という題の小さな映画を最近撮り終えたところだ。キアヌは主役のティーン・エイジャーに人生に関する助言を与える歯科矯正師を演じている。父親役のキアヌなんて私には奇妙に感じられるが。彼は言う、「もう『わっ!もうすぐ40だ』という瞬間は体験しました。急に車を買ったりする奴らの気持ちがわかる。『生きたい!まだ生きていない!』と言うのも理解できます」 が、あれ、あれ、時計が時を刻んでゆく。くそ、くそ。

時計に迫られて再び唐突に話題を変える。これまで女性と同棲した最長期間は一年、が、彼は継続する関係を望んでいる。子供を持つ体験は是非ともするべきと考えているから。ところで、一体なぜ彼はレバノンなんぞで生まれたんだ?(秒刻みの時計に聞いてくれ) 両親が20代前半で、あちこち飛び歩いていたせい。その後家族はオーストラリアに住み、それからマンハッタン、確かこの順だったと思うが、誰か確認してくれないかな。ともかく、主に成長期を過ごしたのはトロントだ。彼が家と呼べる場所に帰るとなれば、それはここになる。ロバート・クローネンベルグが後に話してくれたのだが、彼の奥さんが十歳頃のキアヌの先生だったそうだ。トロントにはキャンディ・ストアという名の店があり、お菓子とジャックナイフを売っていた。そして彼がよく行った何軒かのクラブ、もっとも若すぎて中には入れず、外でつるんでただけだったが。20歳の時、リーヴス二世はロサンジェルスまでドライブした。いよいよ本当に時間がなくなってきたぞ。

彼はだいの読書家で、ロシアの作家が好きだ。アゲイネフ作の”Novel with Cacaine”という本(1916年頃のもの)、チェーホフの短編、そしてトルストイの大長編。ハイランクな俳優の友人はいない。仲良しといえば、アレックス・ウインター(ビルとテッドの大冒険)やジョシ・リッチマン(リバーエッジ)といった連中だ。次にどんな映画をやるかはわからない。脚本を読んでいるところだ。これも普通の俳優がやること。

世間と対するのにためらいはあるかと聞いてみた。時々、という答え。でも、喧嘩を売られることは滅多にない。もう行かなければならないという。私はあと五分待ってくれと頼んだ。そして二階にある大スクリーンで、ティヴォド・ウィリー・ネルソン70歳の誕生日の特別番組を見せた。ウィリーがレオン・ラッセル、レイ・チャールズと一緒に”A Song for You”を歌っている。レイ・チャールズを見つめるウィリーの頬を涙がつたった。盲目の男は歌う、「時空のない処で君を愛する/ 生涯を賭けて愛する、君は僕の友人だから / そして僕の命が終わる時、思い出すだろう、君と共にあった時を / 僕らはふたりぼっちで、僕は君のために歌をうたったと」。レイ・チャールズと永遠を見つめて、ウィリーはすすり泣いた。私は振り返ってキアヌを見た。彼は感動して微かに身を震わせていた。

私はオートバイの処まで見送った。彼は抱き締めたくさせる人だ。ラム・ダスだか誰だかが言っていた、「考える時間を少なくしてもっと抱き締めよう!」と。が、そんなことは普通、インタビューの相手にはしないものだ。格好がつかないからね。だが、まるで彼を抱き締めているような気がした、本当にした。その夜、記者仲間が「いい引用句が手に入ったか?」と聞いてきた。

個人的に気に入ったのは、1)「信じられないくらい無邪気」(もっともこれはベルトルッチのだ) 2)「泣いちゃいそうだ」 3)「もうなにも歌が浮かんでこない」

必ずしもこの順序である必要はない。

まあ、どうでもいい。すべてに意味があるんだから。時間が来た・・


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