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記者会見より

Keanu Reeves Press Conference
11-Feb-2005
By Hannibal Tabu
より抜粋

Q:貴方が演じてきた役柄の中にはかなり霊的な側面のあるものがありますね?

KEANU:例えば『ギフト』とか?(笑い声)

Q:これまで話した共演者の何人かは貴方の準備法について語ってくれました。霊性に関するあらゆる類の記録を収集していたって。その調査内容について少し話していもらえませんか?

KEANU:そんなの嘘っぱちです。僕なりに途中で考えたこととか、いろんなことを書き残して・・・役柄に取り組むためにね。なんというか・・別に収集してたわけじゃ・・そういう意味で『平和戦士の道』をいつも持ち歩くなんてことはしていないよ。ある意味で映画自体が自ずと語っていると思う、で、僕は事実それと取り組んでいただけです。もし持ち歩いていたものがあったとすれば、それはコンスタンティンという名の脚本とそのキャラクターに関する記録だ・・彼が子供の頃に与えられた類の呪いについて学ぶための。他のキャラは『天賦の才能』と呼ぶんだけど、コンスタンティンはそのようには見ていない。自分の人生と環境を理解していくことがコンスタンティンにとっての旅程の一環だと思うんです。そして、やがて愛憎ない混じったある種の平安に到達する。だから、本当に脚本なんですよ、我々は全員その一部だったんだ。

・・・・

Q:貴方は既にブッダを演じた、救世主ネオを演じた、救世主“JM”を演じた、悪魔(アル・パチーノ)と対決した・・。が、この作品は、既成宗教の伝統、あらゆる語彙と儀式を掘り下げていて、その深さでは一番だと思われます。貴方としては、そのどれくらいの部分を人々に信じてもらえ、重要視してもらえるとお考えですか?そして御自身、この霊的闘いに、どれくらいの深さで・・皆無なら話は別だが・・共鳴させられますか?

KEANU:その問いへの答えは・・『コンスタンティン』から話を起こしましょう。僕の観点からすると・・一種の俗的宗教性だと思うんです。作品自体、天国と地獄、善と悪、神と悪魔、人間の霊魂、それらの闘争といったある種のカトリック的イコンや舞台を使っている。だけど僕が気づいたのは、作品自体が・・コンスタンティンがある事実を知ったがゆえに・・だから、これらのコンセプトが、人間性探求のための舞台になってくれることを僕は期待しているんだ。この特定のヒーロー達の生き様に(観客が)共感してくれることを期待している・・キャラクターや状況は奇想天外だけど・・それでもそこにあるのは、人間が人生の謎を解こうとする姿に他ならない。他の役に関しては、究極的に僕が望んでいるのは・・ただ興味深いというだけではなく・・そういう類の旅、ヒーローの、或いはシッダルタの旅・・そこには共通したある種の求道的側面があって、とても大切なものを内包している・・我々の人生にとってね・・自分のものに出来る何か・・願わくば作品として面白くもあって、しかもすべての人が・・特に西洋の伝統において・・共感できる生き様を示したいと思っている。求道者と救世主、アンチ・ヒーローとヒーローといった題材・・そういった側面はすべて、われわれが日常生活で取り組んでいる事柄と等しい内容の旅路だと思う、だから面白いんです。我々は何処から来たのか、何のために闘っているのか・・といった問いの提示に始まり、更に何というか・・これは皮相な意味ではないよ・・人生そのものへと肉薄していく。これはやり甲斐のあることだと思う、そしてそれを様々な物語、語りに出来るとしたら、そういった内容を伝達する時に往々にして用いられる媒体は・・影絵芝居、桟敷舞台、語り部、今日の文学、まあ何でもいいけど、いつもこの種の魅力的で面白い形式にならざるを得ない。

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Q:ジョン・コンスタンティンは贖罪を求めてるらしいが、やりかたが間違ってますよね・・許しを獲得しよう・・神を買収しようとしている。彼に必要なのは懺悔だと思いませんか?

KEANU:懺悔ですか。懺悔の側面はあの最後のシーンで生じ、表現されてると思います。あそこで彼が・・ルシファーを『ルー』と呼ぶんだけど・・ルーに懺悔している、どんな犠牲にせよあそこで起こったこと、・・それが彼を上方に打ち上げたんだと思う。だけどそこにまたコンスタンティン流のひねりがある、・・奴は天国へゆく為に犠牲になったのか、それとも本気だったのか?というね。でも彼は本気だった。最終的には本気だった、上にいるその人にはそれとわかったんだ。そういうところ、神はサンタ・クロースに似ているんですよ。

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Q:世に良い影響を与えようと思っているんですか?

KEANU:作品の中でね。私生活を償ってるんです。僕流の贖罪ですよ。

Q:もっと話してください。

KEANU:ええ、話しましょう。ほら、誰も天国のことなんか気に掛けないでしょ、下劣なものを求めるている。それなら自分に関連させて理解できるからですよ。

Q:演技は世に影響を及ぼす媒介だと?

KEANU:僕個人としてはね、この仕事のそういう側面が好きなんで、それが楽しいからやってるわけです。映画を観るのに二時間使うからには満足して映画館を後にしたい、でもだからと言って必ずしも・・否定的性格を演じるのが嫌ってわけじゃないんです、例えば『ギフト』の時みたいにね、あのキャラは救い主じゃない。でも、悲しみ、悲しみへの対処を扱った物語の一端を担っている。つまり、(キャラ自体にはないけど)作品にそういう要素があるってことです。・・・・

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Q:キアヌ、この映画の主題は他の人間との結びつきを見出すことですよね、中心主題のひとつがそれなのは明らかだ、貴方の役、ジョン・コンスタンティンは他の人々、そして神からも疎外されているように見受けられる。

KEANU:いや、彼は神とは深い係わりをもっている、何が起こっているのか理解できないでいるだけです。とても係わっている、彼の人生全体が神と密接に結びついているんだ。

Q:だけど、彼はそこまで行けない、神の願うことをなして天国へ至ることができない、そんな感覚がありますよね。

KEANU:そのとおり。

Q:その事実が疎外的文化においてどのように共鳴するとお考えですか、観客がどのようなかたちで貴方のキャラクターと係わることを期待していますか?

KEANU:これは疎外された文化のなかの疎外されたキャラクターだ。そうしか言いようがありません、彼の旅の一部は結びつきを求めることだし、最終的にそれに成功している。そして、結びつきがもたらす有意義な犠牲が映画のテーマの一部になっていることを期待しています。


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